朝日日本歴史人物事典 「感和亭鬼武」の解説
感和亭鬼武
江戸後期の戯作者。三田村鳶魚の説によれば没年は文政1年2月21日(1818年3月27日),享年59歳。寛政初年(1789年ごろ)は桑折代官岸本氏の手代を勤め,前野満七郎と名乗るが,その後一橋家に仕えて御家人となる。傍ら,山東京伝の門人となり,狂歌,戯作に遊び,狂歌集や噺本の編著から次第に手を広げて,読本の『自来也説話』前後編(1806,7板)や,滑稽本『有喜世物真似旧観帖』(1805~09)などが最も当たり作となったといわれる。例によって滝沢馬琴は『江戸作者部類』に悪口を記しているが,変わった著述では文化1(1804)年刊の『国字詩階梯』があり,いわゆる仮名詩の作法を示すなど,そう一概には見下せない作者というべきであろう。<参考文献>鈴木俊幸「寛政期の鬼武」(『近世文芸』44号)
(中野三敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報