江戸中期の儒者。名は孝孺(こうじゅ)、字(あざな)は次公、通称は少助。周南は号。貞享(じょうきょう)4年長州藩儒長白(ちょうはく)(良斎、1648―1728)の子として生まれる。1705年(宝永2)江戸に出て荻生徂徠(おぎゅうそらい)に入門、古文辞(こぶんじ)学を学ぶ。3年後、帰国して藩儒となり、藩学明倫館(めいりんかん)の創設に尽力した。1737年(元文2)その長である祭酒(さいしゅ)となる。宝暦(ほうれき)2年8月12日没、66歳。周防(すおう)国都濃(つの)郡須々万村(山口県周南(しゅうなん)市)の曹洞(そうとう)宗保福寺に葬られる。著書に『為学初問』(1760)『作文初問』『周南先生文集』(1760)などがある。
[三宅正彦 2016年7月19日]
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(小島康敬)
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