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山県周南 やまがた しゅうなん

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美術人名辞典の解説

山県周南

江戸中期の儒者。周防生。名は孝孺、字は次公、周南は号。父良斎は長門藩の儒者。荻生狙徠門下生。正徳3年の韓使来聘の際活躍、明倫館にも多大の貢献をする。著書多数。宝暦2年(1752)歿、66才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山県周南 やまがた-しゅうなん

1687-1752 江戸時代中期の儒者。
貞享(じょうきょう)4年5月3日生まれ。山県良斎の次男。荻生徂徠(おぎゅう-そらい)初期の門人。享保(きょうほう)2年長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩主毛利吉元の侍講となる。藩校明倫館の創設につくし,2代学頭に就任。徂徠学をひろめた。宝暦2年8月12日死去。66歳。周防(すおう)(山口県)出身。名は孝孺(こうじゅ)。字(あざな)は次公。通称は少助。著作に「作文初問」「為学初問」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

山県周南

没年:宝暦2.8.12(1752.9.19)
生年:貞享4(1687)
江戸中期の古文辞学派の儒者。名は孝孺,字は次公,通称は少助。長州(萩)藩士山県良斎の次男。周防の国の南部に生まれたので,周南と自ら号した。宝永2(1705)年19歳のときに江戸に出て荻生徂徠に師事する。3年の業なって萩に戻り,享保2(1717)年毛利吉元・宗広父子の侍講となる。元文2(1737)年,藩校明倫館の2代目祭酒に就任し,徂徠学を長州に広めた。詩文に秀で,正徳1(1711)年の朝鮮通信使との詩文の応酬で名を天下にとどろかせた。奇癖の人が少なくない徂徠門下にあっては,まれにみる温厚篤実な常識人であった。著書に『周南文集』『為学初問』『講学日記』『作文初問』などがある。<参考文献>藤井明,久富木成大『山井崑崙 山県周南』(日本の思想家18巻)

(小島康敬)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

やまがたしゅうなん【山県周南】

1687‐1752(貞享4‐宝暦2)
江戸中期の儒学者。名は孝孺,字は次公,通称は少助,周南は号。父良斎は長州藩士で儒者。19歳で江戸に出,荻生徂徠に入門し,古文辞学を学ぶ。徂徠初期の弟子として,安藤東野と併称された。3年後,帰省し,やがて父の跡を継いで藩儒となる。藩学明倫館の創設に尽力し,のちその長である祭酒の地位につく。著書は《作文初問》(1755),《為学初問》(1760),《周南先生文集》(1760)など。【三宅 正彦】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山県周南
やまがたしゅうなん

[生]貞享4(1687).周防
[没]宝暦2(1752).8.12.
江戸時代中期の古文辞学派の儒学者。名は孝孺,字は次孝。通称は少助。周南は号。父は長州藩儒官山県長白。 19歳のとき江戸に出て荻生徂徠の門に入り,安藤東野と並び称された。長州藩に帰り,儒官として仕え,藩主の侍読となった。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山県周南
やまがたしゅうなん
(1687―1752)

江戸中期の儒者。名は孝孺(こうじゅ)、字(あざな)は次公、通称は少助。周南は号。貞享(じょうきょう)4年長州藩儒長白(ちょうはく)(良斎、1648―1728)の子として生まれる。1705年(宝永2)江戸に出て荻生徂徠(おぎゅうそらい)に入門、古文辞(こぶんじ)学を学ぶ。3年後、帰国して藩儒となり、藩学明倫館(めいりんかん)の創設に尽力した。1737年(元文2)その長である祭酒(さいしゅ)となる。宝暦(ほうれき)2年8月12日没、66歳。周防(すおう)国都濃(つの)郡須々万村(山口県周南(しゅうなん)市)の曹洞(そうとう)宗保福寺に葬られる。著書に『為学初問』(1760)『作文初問』『周南先生文集』(1760)などがある。[三宅正彦]

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