山県周南(読み)やまがたしゅうなん

精選版 日本国語大辞典 「山県周南」の意味・読み・例文・類語

やまがた‐しゅうなん【山県周南】

  1. 江戸中期の儒者。長州の人。名は孝儒、字は次公。父良斎は長州藩儒。荻生徂徠師事藩主毛利吉元の侍読となり、正徳二年(一七一二)、朝鮮通信使との応酬で文名を挙げ、藩主に信任されて藩校明倫館創立尽力学問は師説をもっぱら祖述した。著「為学初問」「作文初問」「周南先生文集」など。貞享四~宝暦二年(一六八七‐一七五二

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山県周南」の意味・わかりやすい解説

山県周南
やまがたしゅうなん
(1687―1752)

江戸中期の儒者。名は孝孺(こうじゅ)、字(あざな)は次公、通称は少助。周南は号。貞享(じょうきょう)4年長州藩儒長白(ちょうはく)(良斎、1648―1728)の子として生まれる。1705年(宝永2)江戸に出て荻生徂徠(おぎゅうそらい)に入門、古文辞(こぶんじ)学を学ぶ。3年後、帰国して藩儒となり、藩学明倫館(めいりんかん)の創設に尽力した。1737年(元文2)その長である祭酒(さいしゅ)となる。宝暦(ほうれき)2年8月12日没、66歳。周防(すおう)国都濃(つの)郡須々万村(山口県周南(しゅうなん)市)の曹洞(そうとう)宗保福寺に葬られる。著書に『為学初問』(1760)『作文初問』『周南先生文集』(1760)などがある。

三宅正彦 2016年7月19日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「山県周南」の意味・わかりやすい解説

山県周南 (やまがたしゅうなん)
生没年:1687-1752(貞享4-宝暦2)

江戸中期の儒学者。名は孝孺,字は次公,通称は少助,周南は号。父良斎は長州藩士で儒者。19歳で江戸に出,荻生徂徠に入門し,古文辞学を学ぶ。徂徠初期の弟子として,安藤東野と併称された。3年後,帰省し,やがて父の跡を継いで藩儒となる。藩学明倫館の創設に尽力し,のちその長である祭酒の地位につく。著書は《作文初問》(1755),《為学初問》(1760),《周南先生文集》(1760)など。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山県周南」の解説

山県周南 やまがた-しゅうなん

1687-1752 江戸時代中期の儒者。
貞享(じょうきょう)4年5月3日生まれ。山県良斎の次男。荻生徂徠(おぎゅう-そらい)初期の門人。享保(きょうほう)2年長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩主毛利吉元の侍講となる。藩校明倫館の創設につくし,2代学頭に就任。徂徠学をひろめた。宝暦2年8月12日死去。66歳。周防(すおう)(山口県)出身。名は孝孺(こうじゅ)。字(あざな)は次公。通称は少助。著作に「作文初問」「為学初問」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山県周南」の意味・わかりやすい解説

山県周南
やまがたしゅうなん

[生]貞享4(1687).周防
[没]宝暦2(1752).8.12.
江戸時代中期の古文辞学派の儒学者。名は孝孺,字は次孝。通称は少助。周南は号。父は長州藩儒官山県長白。 19歳のとき江戸に出て荻生徂徠の門に入り,安藤東野と並び称された。長州藩に帰り,儒官として仕え,藩主の侍読となった。また藩校明倫館の創立に尽した。著書『為学初問』『講学日記』『周南詩文集』など。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「山県周南」の解説

山県周南 (やまがたしゅうなん)

生年月日:1687年5月3日
江戸時代中期の古文辞学派の儒者
1752年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む