( 1 )一般名詞としての「戯作」は、特に宝暦・明和(一七五一‐七一)の頃の知識人が本来の文業とはいえぬ卑俗な文章や詩文を綴る時に用いた遁辞であったが、一方で、当世風の、「おかしみ」を主とする娯楽小説が一つのジャンルとして確立、流行していった。
( 2 )寛政の改革(一七八七‐九三)以前の戯作は主に知識人の手になり「うがち」や「茶化し」の発想を「見立て」によって展開させたが、それは知識人たちの仲間内で洗練され成熟していったため、ある種の高踏性をもっていた。改革以後になると町人や下級武士らがこれを担うようになり、専業作者も登場し、読者層も拡大するなど、より大衆化した。
( 3 )②は古くは、漢音で「キ(ギ)サク」と読まれているが、次第に呉音の「ケ(ゲ)サク」の読みが一般化し、文政も末になると「ゲサク」と読まれることが多くなる。
明和・安永(一七六四‐八一)頃は、漢音で「キ(ギ)サク」と読まれているが、文化・文政(一八〇四‐三〇)頃には、呉音の「ケ(ゲ)サク」が一般化したと思われる。
江戸中期に知識人の余技として作られはじめた新しい俗文芸をいう。具体的には享保(1716-36)以降に興った談義本,洒落本(しやれぼん)や読本,黄表紙,さらに寛政(1789-1801)を過ぎて滑稽本(こつけいぼん),人情本,合巻(ごうかん)などを派生して盛行するそのすべてをいう。またその作者を戯作者と称する。以上の戯作はその作者層や作品の質などを勘案すると,寛政期を境として,前,後の2期にわけて考えるのが実状に即した見方である。
前期戯作はまさしく知識階級の人々によって作られ始めたもので,この人たちは本来漢詩文を中心とする雅文芸に従事すべきであった。それが俗文芸に手を染めたときの言いわけめいた命名として〈戯作〉という名称が生じたのである。これらは文字どおりの消閑の戯技としての戯れの作もあれば,知識人として社会に貢献すべく,折から享保改革で重要な政策として掲げられた庶民教化の目的に呼応して,俗耳に入りやすい俗文芸に筆を染めた者もいた。初期の洒落本作者は前者であり,初期の談義本作者は後者である。だが,それらが混交してしだいに文芸は世道人心の益無益とは無関係であるという理解が浸透しはじめ,表現のおもしろさに徹する意識が生じてくる。そして安永・天明期(1772-89)のかなり自由な空気を反映し,“おかしみ”を唯一無二の美意識とする戯作が完成する。完成期の洒落本や黄表紙がそれに当たる。ひたすら“笑い”のためにのみ,考えうるあらゆる表現技巧を動員して,“うがち”や“茶化し”の発想を,〈見立て〉と称する技法を駆使しつつ展開させていく。その技法が洗練されればされるほど,それを理解する読者もまた限られてくる。前期戯作はそのように仲間内の文芸としての性格を濃く持ち,その範囲内で成熟し完成した文芸となった。代表的な作者には朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ),恋川春町,大田南畝,山東京伝などをあげうる。
そこへ寛政改革が始まり武士階級のあるべき姿が厳しく問い直される。従来の戯作者の大半が武士階級に属したこともあって,ここで作者層の大幅な転換が起こり,後期戯作が始まる。その担い手はほとんどが町人かごく下級の武士たちであり,この人たちにとっては,戯作者になることがすなわち知識人と認められるための道筋であった。内容や表現技法には前期戯作者の残した筋道がすでに備わるとすれば,あとは作者や読者の質の変化に伴う“笑い”の質の変化があるだけである。前期の知的で硬質な笑いは,後期では情緒的で軟質なものに変わっていく。それとともに,読者層の急激な拡大もあって,作者側の対読者意識が大幅につのり,みずから楽しむ前期戯作とは変わって,もっぱら読者に楽しみを提供するという姿勢が顕著になる。しかし一方ではこうした“笑い”とは違った小説性の発見に始まった読本が,後期の京伝や曲亭馬琴によって完成され,伝奇性,物語性をもっぱらとする。一方,質の変化した滑稽は,十返舎一九,式亭三馬の活躍により滑稽本を独立させ,滑稽よりもさらに世俗になじみやすい涙を主体とする人情本が,為永春水一派を中心に,変化した読者層をつかんで,やがて明治期の近代小説に直結することになる。また明治初年の政治小説の流行などは,享保以降の談義本の成立とよく似た状況を呈しており,明治も20年代までは江戸戯作の影響を色濃くひきずっていたといえよう。
執筆者:中野 三敏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
近世小説の一群をさしていう用語。近世では「けさく」、ときに「きさく」と読み、幕末に入って「げさく」の読みがしだいに多く、今日の読みとなった。元来は、戯れにつくること、またその作品の意味で、和漢古今に共通した一般語であるが、近世後期に入って、知識人が余技の小説、浄瑠璃(じょうるり)をいう際にしきりに使用し、やがて当時新しく発生した様式の小説の総称となった。様式では、洒落本(しゃれぼん)、滑稽本(こっけいぼん)、黄表紙(きびょうし)、合巻(ごうかん)、読本(よみほん)、人情本を含み、狭義では前三者の滑稽文学をさすこともある。この小説群の作者が戯作者である。
その歴史は2期に分けられる。前期は、小説壇の中心が上方(かみがた)から江戸へ移動し始めた宝暦(ほうれき)(1751~64)ごろから寛政(かんせい)異学の禁(1790)のころまで、後期はそれから幕末を経て、その作風の名残(なごり)のあった明治初期(1885ころ)までである。
前期では、近世社会がようやく渋滞して、適材が適所を得ずに文人趣味がはびこるなかで、余技として俗文学に筆をとる知識人が出現した。初めは都賀庭鐘(つがていしょう)、上田秋成(あきなり)ら上方の人々、ただちに江戸に移って平賀源内(ひらがげんない)、山岡浚明(まつあけ)、大田南畝(なんぽ)(蜀山人(しょくさんじん))、恋川春町(こいかわはるまち)など多くが参加した。初期読本、洒落本、初期滑稽本(談義本)黄表紙など新様式が誕生し、初めは少数の同好者間の遊戯であったが、しだいに一般化した。彼らは社会と遊離した立場から、「うがち」の姿勢をとり、余技のゆえに人生との対決の乏しいまま、「趣向」の構成が主となり、文章の妙を競った。しかし知識人らしく知性・感性に秀で、なにがしかの思想性の現れたものもあり、遊戯文学ながら高級なものであった。
寛政(1789~1801)のころから知識人たちが小説壇から身を引き、そのあとに、前期戯作に学んだ山東京伝(さんとうきょうでん)、曲亭馬琴(きょくていばきん)、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)、式亭三馬(しきていさんば)、為永春水(ためながしゅんすい)など専門または準専門の作者が出現し、後期読本、合巻、後期滑稽本、人情本がつくりだされる。そのころには知識程度の低い一般読者が増加し、また出版機構がその間に介在して、作品の品位は低下する。人生との対決はますます薄く、「うがち」も批判性が少なくなり、趣向第一となって、「ちゃかし」「見立(みたて)」「ないまぜ」「地口(じぐち)」など技巧的なものが複雑に跳梁(ちょうりょう)している。時代の風として、その方面に名人芸的に努力したので、日本語の性格を極限にまで発揮させてもいる。しかし売文家となった後期戯作者は、読者に卑屈な姿勢を呈する一面と、前期戯作者以来の一種の文人の誇りが合して、卑下慢(ひげまん)という、いわゆる戯作者気質をもつに至った。また大衆読者に対するために、偏屈で非情な前期の風がなくなり、善や美にすなおに共感する風を回復するなどのこともあった。
明治初期も、仮名垣魯文(かながきろぶん)、山々亭有人(さんさんていありんど)などと幕末の流れは続いたが、西欧の文学観と作風が輸入されるにしたがって、小説壇はこの風潮から脱出して、戯作は創作に、作者は作家にと近代的に変化していった。しかしこの戯作時代に、口語的表現、長編小説、なお十分でないが性格描写、心理描写、さらには馬琴のごとく人生の理法を作中に述べるなどの試みがみえて、西欧の新作風の輸入の下地をなすものがしだいに成長したことを見逃してはならない。戯作者たちも参加した狂詩、狂歌、川柳(せんりゅう)、咄本(はなしぼん)なども、同じ表現上の特色をもっている。
[中村幸彦]
『中村幸彦著『戯作論』(1966・角川書店)』▽『中野三敏著『戯作研究』(1981・中央公論社)』
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…写本2冊。いわゆる赤本(あかほん)などの発生期の江戸戯作にはじまり,天保年間(1830‐44)にいたる,草双紙,洒落本,滑稽本,人情本,黄表紙,合巻(ごうかん),読本(よみほん)の作者のべ148名について,いちいち,その著作・伝記(本名,身分,生没,世評)をできるかぎり克明に調べ,赤本,洒落本,中本(ちゆうほん),読本の作者に分類し,集成したもの。上方文壇に対する江戸通俗文壇史をも兼ねる。…
…しかし,架空の言に勧懲の意を寓するところに,馬琴が小説の効用を求めていたことはいうまでもない。白話小説を母胎とする読本にたいし,より写実的な街談巷説の文学,滑稽本や人情本は,戯作(げさく)の名で呼ばれることが多く,両者を〈小説〉として通約する考え方はかならずしも一般的ではなかった。 明治に入ってからも,翻訳小説,政治小説など,知識人を対象とする〈上の文学〉は,読本と結びついた〈小説〉の概念がうけつがれたにもかかわらず,仮名垣魯文(かながきろぶん)の《安愚楽鍋(あぐらなべ)》など,大衆向けの〈下の文学〉は,戯作の領分にとどまっていたのである。…
※「戯作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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