日本の城がわかる事典 「感状山城」の解説 かんじょうさんじょう【感状山城】 兵庫県相生市矢野町にあった山城(やまじろ)。室町時代の赤松氏一族の番城、居城。国指定史跡。感状山城は、矢野町瓜生(うりゅう)と森(もり)にまたがる標高301mの感状山の尾根に築かれている。鎌倉時代に瓜生佐衛門尉が築城したという説と、1336年(建武3)に赤松則村(のりむら)(円心(えんしん))の三男則祐(そくゆう)が築いたという説がある。建武年間(1334~36年)、足利尊氏の追討をしていた新田義貞(にったよしさだ)率いる大軍を相手に赤松則祐が奮戦した。この戦功により足利尊氏が則祐に「感状」を与え、以来、感状山と呼ばれるようになったといわれている。その後、赤松氏の番城として森上総や岡豊前が守将となり、のちに赤松義村の居城になった。総石垣造りの曲輪構えは、石垣の積み方が近世以前の手法であることから、戦国時代(1467~1568年)にこの周辺を支配した宇喜多(浮田)氏の手によって改修されたという説もある。曲輪(くるわ)や石垣、井戸などの遺構が比較的よく残されており、西播磨地方の代表的な中世山城跡として国の史跡に指定された。JR山陽本線相生駅から神姫バス榊行20分、瓜生下車徒歩20分、羅漢の里登山口から城跡まで40分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報