朝日日本歴史人物事典 「慈業」の解説
慈業
鎌倉前期の真言宗の声明家。字は宝厳房。進流の声明を宗観の付法の弟子聖海から学んだ。もと南都興福寺の住僧で,のち鎌倉へ下り,晩年は進流声明の本拠地であった大和(奈良県)の中川寺に止住した。嘉禎1(1235)年に41代の高野山寺務検校であった勝心から依頼があり,進流の本拠を中川寺から高野山へ移すことについて,奈良や京都の諸寺の賛同を得るなどして尽力したという。以後,進流は高野山(南山)を中心に展開したので「南山進流」と呼ばれるようになった。
(高橋美都)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報