慶徳堀
けいとくぼり
船場二丁目の東側(現慶徳小学校付近)にあった堀と周辺の地名。「国誌」に「深広ノ湟アリ、漸々ニ埋テ今ヤ市店ノ裏今源覚寺向側ニ纔ニ其迹ノミ残レリ」とあるが、明治の頃まで堀の一部があったといわれる。「国誌」によれば、大永(一五二一―二八)頃に僧慶徳がこの辺りに順正寺を造立したので「里俗慶徳堀ト称シ、又近辺ヲ慶徳堀ト云」とある。「肥後名僧伝」によれば慶徳は布教とともに建築・土木水利事業も行い、慶徳堀も慶徳の手によってなったという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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