日本歴史地名大系 「慶高寺跡」の解説 慶高寺跡けいこうじあと 富山県:高岡市旧射水郡小矢部川左岸地区一宮村慶高寺跡[現在地名]高岡市伏木一宮気多(けた)神社の別当寺で、一の宮慶高寺と称された。真言宗。延宝年中社寺来歴には、養老二年(七一八)行基開創とし、元正天皇勅願所とする。越中観音霊場六番札所(稿本越の下草)。屋敷地は元和年間(一六一五―二四)以来の検地・納所を免除されていたが、明暦二年(一六五六)以後は地子屋敷となった。貞享二年寺社由緒書上には、本社は文殊、脇座は不動・薬師とする。宝暦一四年(一七六四)の旧跡調書(越中志徴)には、山一九〇間に二八〇間が寄付地であるとする。社頭も二三、往古は南北両谷に四九坊があって繁栄したが、一坊だけが残ったとする。また日本廻国六十六部国分寺納経所であったとし、納経堂の現存をいう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by