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憲淳 けんじゅん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

憲淳 けんじゅん

1258-1308 鎌倉時代の僧。
正嘉(しょうか)2年生まれ。近衛良教(このえ-よしのり)の子。真言宗。国師僧正とよばれた。正応(しょうおう)5年醍醐寺(だいごじ)報恩院の覚雅から灌頂(かんじょう)をうけ,同院をつぐ。後宇多上皇の帰依(きえ)をうけ,徳治(とくじ)3年灌頂をさずけた。歌人として知られ,「続(しょく)門葉和歌集」の撰定にかかわり,同集の序文をかいたとされる。徳治3年8月23日死去。51歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

憲淳

没年:延慶1.8.23(1308.9.8)
生年:正嘉2(1258)
鎌倉後期の真言宗の僧。醍醐寺報恩院4世として報恩院流の全盛を築く。近衛良教の子で醍醐寺報恩院の覚雅に師事して出家。後宇多天皇の幼少時に侍僧として仕えたことから,のちにその帰依を受ける。延慶1(1308)年には後宇多法皇に小野流の伝法灌頂 を授ける。弟子 隆勝 に付法相承する一方で,法皇寵愛の道順にも法を授ける。このため,憲淳の死後その正嫡をめぐって勢力争いが起こり,法皇の大覚寺統花園天皇持明院統の対立へ巻き込むなどして南北朝の争いの一要因を担うことになる。<参考文献>栂尾祥雲『秘密仏教史』

(井野上眞弓)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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