日本では和歌や音曲の秘説・秘曲が師から伝授されるときに、灌頂の儀式が行なわれた。「灌頂」がいつごろから仏教以外の分野で使われ始めたのかは明らかではないが、「奥義抄」の例などから院政期までは遡ることができる。これが②の灌頂の儀式にならっていることは、「琵琶灌頂次第」に明らかである。
頭頂に水を灌(そそ)ぎ,その人物がある位に進んだことを証する儀式のこと。灌頂はサンスクリットでアビシェーカabhiṣekaまたはアビシェーチャナabhiṣecanaといい,もとインドで帝王の即位や立太子のときに行われた儀式で,たとえば〈即位灌頂〉においては四大海の水を頭頂に注ぎ,それによって四海に至るまでの全世界の掌握を象徴したのである。これが仏教にもとり入れられ,大乗仏教では最後の修行を終えた菩薩が悟りを開いて仏になるとき,諸仏から智水の灌頂を受けて成仏するものとされた。仏は真理界の帝王(法王)であるから,成仏を法王の位に即(つ)くことになぞらえたのである。のちに密教では大日如来の五智を象徴する水を弟子の頭頂に注ぎ,仏位を継承したことを証する重要な儀式となった。灌頂には多くの種類があるが,今日もっとも普通に行われるのは次の3種である。(1)結縁(けちえん)灌頂 目隠しをして登壇し,敷曼荼羅(しきまんだら)の上に華を投じ,華の落ちた尊を有縁(うえん)として受けるもの。この結縁の尊によって,本来自己に具わっている大日如来の万徳が,これを機縁にしだいに開発されていく証(あか)しとされる。人を選ばず広く仏縁を結ばせることを目的とするもの。(2)受明(じゆみよう)灌頂 真言の行者として深く密教を学ぼうとする者に対して行われるもの。これによって弟子の資格を得るので弟子位の灌頂ともいう。(3)伝法(でんぼう)灌頂 密教の最奥の秘法を伝授するために行われるもの。四度加行(しどけぎよう)を満了した者に限られる。これによって人の師たるに堪(た)える位(阿闍梨(あじやり)位)を得るために,阿闍梨(位)灌頂ともいう。
灌頂は日本では最澄が805年(延暦24)に高雄山寺で行ったのが最初とされる。その後,正統な密教を伝え,最澄に遅れて帰国した空海は,812年(弘仁3)に同じ高雄山寺で灌頂を行ったが(11月に金剛界,次いで12月には胎蔵界),それには最澄も含め166名が参加し,受法したと伝えられる。後には,平城(へいぜい)天皇や嵯峨(さが)天皇なども空海から灌頂を受けている。灌頂は現在に至るまで行われ,現に真言宗では伝法灌頂を受けることが寺院の住職となるための必須条件となっている。
→伝法
執筆者:岩松 浅夫
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仏教用語。サンスクリット語のアビシェーカabhiekaまたはアビシンチャabhiiñcaの訳語で、「頂上に水を灌(そそ)ぐ」意。もとインドの国王が即位の際、四大海の水を汲(く)んでその頭上に注いで四海掌握を意味した儀式であったが、大乗仏教では、仏位受職(ぶついじゅしき)(仏の位を継承する)の名称に転じた。とくに密教では、如来(にょらい)の五智(ごち)を象徴する五瓶(ごびょう)の水を受者に注ぐことによって、密教の法燈(ほうとう)を継承せしめたとする重要な儀式となり、密教独自の法儀として護摩修法(ごましゅほう)とともに他宗と区別する特色となった。灌頂の種類は、内容、目的、形式などで多くの分類がある。次にその基本となるものをあげると、在家の人々を対象に曼荼羅(まんだら)中の一尊と縁を結ぶ結縁(けちえん)灌頂、出家者のための初歩的な灌頂としての受明(じゅみょう)灌頂、密教の完全な真理を体得して阿闍梨(あじゃり)となる者に金剛界・胎蔵界の真理を伝える伝法(でんぽう)灌頂の3種がある。また『大日経』「秘密曼荼羅品(ぼん)」では、特定の道場で行う作業(さごう)灌頂、秘印のみを授ける印法(いんぼう)灌頂、師と弟子が互いの心中で行う以心(いしん)灌頂の三種灌頂と、修行の位を5種に分けた五種三昧耶(さんまや)が説かれる。
灌頂は密教の法脈を師から資(弟子)に相承する厳儀であると同時に、密教を広める法儀であり、中国では、真言の列祖が伝法と結縁のためにたびたび灌頂壇を開いて密教を広めた。日本では、812年(弘仁3)弘法(こうぼう)大師空海が高雄山寺(たかおさんじ)で行った金剛界・胎蔵界両部の灌頂が初例とされる。
[小野塚幾澄]
中国、唐代の天台宗の僧。字(あざな)は法雲、俗姓は呉氏。浙江(せっこう)省臨海県章安(しょうあん)の人で、章安尊者ともよばれる。7歳で摂静寺(しょうじょうじ)の慧拯(えじょう)に学び、583年(至徳1)智顗(ちぎ)に師事して天台の教えを受ける。その後はつねに侍者として仕え、『法華文句(ほっけもんぐ)』『法華玄義(げんぎ)』『摩訶止観(まかしかん)』などの師の講説を筆録した。師の没後も、『智者大師(ちしゃだいし)別伝』を著し、また師に関する書簡、碑文を集めて『国清百録(こくせいひゃくろく)』4巻を編するなど、天台宗の成立に果たした功績は大きい。著書は、ほかに『涅槃経疏(ねはんぎょうしょ)』2巻、『観心論疏(かんじんろんしょ)』5巻などがある。
[池田魯參 2017年1月19日]
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…古来,山僧の多くは山上に住まず,東西坂本および洛中に里坊(さとぼう)を有したが,今では主として東坂本(大津市坂本)に集住し,ここには最澄生誕地と伝える生源寺,座主の住坊である滋賀院門跡をはじめ多くの住院がある。
[法会]
《三宝絵詞》(984年源為憲撰)には,叡山で行われる毎年の法会として,1,4,7,10月に各21日間ずつ行う懺法(せんぼう)(812年最澄始修),3月と9月の15日に行う勧学会(964年始修,山僧20人と大学寮学生20人が坂本の寺に会し,朝は法華経を講じ,夕は念仏を行い,終夜,讃仏の詩文を作る),4月の花の盛りに行う舎利会(860年円仁始修),4月15日以前に行う授戒会(823年始),6月4日,最澄の忌日に行う六月会(みなづきえ),8月11日から17日まで行う不断念仏(865年円仁始修),9月15日に行う灌頂(843年円仁始修),11月24日の天台大師忌に行う霜月会(798年最澄始修)を掲げる。このうち六月,霜月の両会はとくに重んじられ,5年に1度,好季を選んで両会同時に修し,これを法華大会という。…
…4巻。隋の智寂が編集,灌頂が完成させた。天台山に煬帝(ようだい)から国清寺の寺額が下賜された605年(大業1)ころのことと考えられる。…
…真言密教の寺院で,灌頂(かんぢよう)の儀式の際に使用される屛風。文献的には,10世紀ころから宮中などで用いられていた一般的な調度としての屛風が,しだいに灌頂の場に進出し,14世紀には既に重要な灌頂用具となっていたことがわかる。…
…またインドのヒンドゥー教では,河川が豊穣・祓浄の源泉として神聖視され,とりわけガンガー(ガンジス)川の水はすべての死者の魂を昇天させる浄化力があると信じられた。一般に宗教行事には,水を頭から注ぐ灌頂(かんぢよう)の儀式があったが,それが仏教にもとり入れられて,仏弟子として再生するための各種の灌頂式がつくりだされた。日本では記紀神話にみられるように,伊弉諾(いざなき)尊が死んだ妻の伊弉冉(いざなみ)尊を黄泉国(よみのくに)に訪ね,帰ってから身についた汚穢を川原で洗い流したという話が知られている。…
※「灌頂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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