朝日日本歴史人物事典 「戸崎淡園」の解説
戸崎淡園
生年:享保9(1724)
江戸時代中期の漢学者。常陸(茨城県)松川の人。名は哲,允明,字は子明,哲夫,通称は五郎太夫。淡園と号す。家は水戸藩の支藩守山藩に仕えていた。徂徠学を学び,終生その学風を遵守した。18歳で守山藩御徒組に列し,明和年中(1764~72)に儒臣となって藩校養老館で講説を行い,子弟の教育に励んだ。また経済政策にもその力を発揮して,藩主一家の信頼は特に篤く,寛政10(1798)年には家老職にまで昇り,享和1(1801)年に老を以て致仕するまで,4代に仕えた。致仕後は浄巌と称し,著述に専念。経学の注釈書を中心に編著の数は極めて多い。
(高橋昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報