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戸川逵安 とがわ みちやす

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

戸川逵安 とがわ-みちやす

1567-1628* 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
永禄(えいろく)10年生まれ。戸川秀安(ひでやす)の長男。宇喜多直家(なおいえ),秀家(ひでいえ)につかえ重臣となるが,慶長4年家中の内紛により主家から追放される。関ケ原の戦いでは東軍に属して功をたて,戦後備中(びっちゅう)(岡山県)庭瀬藩主戸川家初代となった。2万9200石。寛永4年12月25日死去。61歳。

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世界大百科事典内の戸川逵安の言及

【戸川氏】より

…近世大名,旗本。備中国の出身。もと宇喜多氏の家臣。逵安(みちやす)は,1600年(慶長5)関ヶ原の戦の軍功により,備中庭瀬2万9200石を与えられる。その子正安のときに弟2人に分知したのをはじめ代々分封を繰り返し,75年(延宝3)には2万石。79年当主安風の死去により無嗣絶家となる。ただし名跡は弟逵富(みちとみ)が継承(5000石)。以後旗本として幕末に至る。なお,一族中には分知によって備中国内に知行をもつ旗本が多かった。…

【備中国】より

…のち一時幕領,私領となったが,15年家定の子利房が藩主に返り咲き,以後11代256年同氏が在封した。庭瀬藩は賀陽郡庭瀬(岡山市)に陣屋をもつ小藩で,1600年宇喜多氏の旧臣戸川逵安(みちやす)(外様)が2万9000石を領して立藩したが,4代で無嗣絶家となって一時廃藩となった。その後,久世重之,松平信通が入封したがいずれも間もなく移封し,99年(元禄12)板倉重高が2万石で入封し,以後譜代11代170年在封した。…

※「戸川逵安」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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