戸波城跡
へわじようあと
[現在地名]土佐市本村
波介川南岸の平地にある標高一一〇メートルの独立丘江良山にある。江良山は南は急崖で西と北は比較的緩い傾斜をなし、中村街道を俯瞰する地に立地。戦国時代は波介川が山の南裾を流れ、山は「かまちの沼とて大きなる沼あり」(土佐物語)という恵良沼(江良沼)の中にあった。
築城年代は不詳で井場城(伊乃保岐城)ともいい、「土佐州郡志」に「相伝昔永尾因幡守者之所居也、一説福井玄蕃所居、後幡多一条殿下使其家臣数輩守之」とみえる。年代は不明であるが土佐国古領主付並雪蹊寺連牌(東大史料編纂所蔵)に「戸波十二人衆 福井玄蕃頭」がみえ、「四千貫蓮池七人衆 大平山城守」「五千貫須崎七人衆 津野刑部少輔」「久礼 佐竹掃部頭」など近辺の武将が記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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