戸波村
へわむら
[現在地名]土佐市本村
波介川の流域、東鴨地と西鴨地の間に位置し、戸波本村ともいう。戸波郷支配の中心であった戸波城があり、江戸時代の村切により、天正一七年(一五八九)の戸波郷地検帳の賀茂地村の一部と、手古地村・土居村・江良村・宍場村などを合せて近世の戸波村が設定されたと考えられる。「南路志」には元禄一三年(一七〇〇)戸波村(戸波郷)を戸波本村と枝郷七ヵ村に分けたとあり、「土佐州郡志」は「加茂地此曰戸波本村」と記す。
元禄地払帳では総地高八二九石余、うち本田高四六四石余・新田高三六四石余。
戸波村
となみむら
皆瀬川が流路を変える南岸にあり、西と南に天が台山など三〇〇メートルほどの山が連なる。東対岸は三又村枝郷明戸村(現雄勝郡稲川町)で、北対岸の八木村との間に明治中頃まで私設の渡場があり、市場の立つ増田へ通じた。
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に戸波新田村九三石と記載される。しかし、享保一四年(一七二九)の雄勝郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)に「戸波村、諸帳同之、但正保元禄誤而新田出」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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