日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩崎藩」の意味・わかりやすい解説
岩崎藩
いわさきはん
出羽(でわ)国秋田地方の外様(とざま)藩。秋田新田(しんでん)藩ともいう。藩主は佐竹氏。1701年(元禄14)、秋田藩主佐竹義処(よしずみ)の弟義長(よしなが)が、2万石を新田分知されて立藩した。『土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)』42には、本知2万石とあるので、1690年(元禄3)ころにはすでに本藩から分立していたと思われる。この分知は所領の分与ではなく、特定の領地をもたない「分知御蔵高(ぶんちおくらだか)」で、したがって支配組織をもたなかった。藩主は江戸に定府(じょうふ)。1868年(明治1)居地を河辺(かわべ)郡椿台(つばきだい)に構え、翌69年には雄勝(おがち)郡岩崎に移った。領地は70年に岩崎村など35か村を与えられ、佐竹義諶(よしつま)が岩崎藩知事となった。71年岩崎県となり、同年秋田県に編入された。藩校は1868年に設置された勅典館(文武館)。
[長谷川成一]