戸田忠温(読み)とだ ただよし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸田忠温」の解説

戸田忠温 とだ-ただよし

1804-1851 江戸時代後期の大名
享和4年1月16日生まれ。戸田忠翰(ただなか)の5男。兄戸田忠延の養子となり,文政6年下野(しもつけ)宇都宮藩主戸田家第2次4代。奏者番,寺社奉行,老中をつとめた。嘉永(かえい)4年7月26日死去。48歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の戸田忠温の言及

【宇都宮藩】より

…下野国(栃木県)河内郡宇都宮に城郭を構えた譜代中藩。中世以来続いた宇都宮氏は1590年(天正18)豊臣秀吉から本領を安堵され,太閤検地も実施されたが,97年(慶長2)国綱は突然改易となり,翌年18万石の所領は蒲生秀行に引き継がれた。1600年徳川家康の外孫奥平家昌が10万石で入封し,以後東北地方への押え,日光東照宮の入口として徳川譜代の臣が藩主となった。1619‐22年(元和5‐8)の本多正純は15万5000石を領有し,宇都宮城の拡大,城下町の改造,日光への街道の整備を行うとともに,領内の検地を実施したが,突然改易となり,復帰した奥平氏も1668年(寛文8)忠昌の死後,寵臣杉浦右衛門兵衛の殉死,藩内対立などから山形へ移されるが,このころまでが藩体制確立期であった。…

※「戸田忠温」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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