改訂新版 世界大百科事典 「ホーソーン」の意味・わかりやすい解説
ホーソーン
Nathaniel Hawthorne
生没年:1804-64
アメリカの小説家。マサチューセッツ州セーレムの旧家に生まれた。彼の作品に色濃いニューイングランドの風土性,過去に対する意識は,その出自に由来する。21歳でボードン大学を卒業。10年余り孤独な創作三昧の生活を続けたが,実用的職業につかぬことを罪悪視するピューリタン的考え方が,世間にも彼自身の中にも残っていることに苦しんだ。1828年処女小説《ファンショー》を自費出版したが反響なく,以後はニューイングランドの歴史に取材した《エンディコットと赤十字》,理想を追求する主人公を描く《あざ》,悪の問題を扱う《若きグッドマン・ブラウン》,寓話風の《大きな石の顔》などの優れた短編や日常生活のスケッチを合わせて約100編雑誌に発表,のちに《トワイス・トールド・テールズ》(1837,増補版1842),《旧牧師館の苔》(1846),《雪人形》(1851)に収録した。
42年ソファイア・ピーボディと結婚。彼女の愛情が,強烈な自我と内面を見つめる性癖ゆえの孤独地獄から彼を救い出した。以後は幸せな家庭生活を送るが,逆に孤独・不幸という彼の創作のばねとなっていたものが徐々に失われていく。定収を得るため税関に勤めたり(1839-41,46-49),1841年にはトランセンデンタリストの実験村ブルック・ファームに参加したりしたが,50年《緋文字》を発表するや,たちまち名声を確立した。このころメルビルと知り合い,互いに大きな影響をうける。
《七破風の屋敷》(1851)は,1692年セーレムの魔女裁判に際して,ホーソーンの4代前の先祖が判事として過酷な判決を下し,被告に呪われたという伝説に基づき,先祖の罪が子孫に及ぼす重圧を考えた傑作。続く《ブライズデール・ロマンス》(1852)は,ブルック・ファームでの体験を素材に,人類愛に燃え犯罪者の更生施設をつくることを夢見ながら,自分の計画におぼれるあまり人間性を失う男を主人公に,黒髪と金髪の異母姉妹の葛藤を描き緊密な構成を誇る。
53年,大学時代の友人フランクリン・ピアースが大統領となったため,イギリスのリバプールの領事となり,4年間務めた後イタリアを旅行,そのときの見聞を利用してゴシック・ロマンス風の《大理石の牧神》(1860)を出版した。罪を犯しても,その苦悩によりかえって心が高められることもあるのではないかという疑問を扱ったものである。60年に帰国後は,イギリスの滞在記《われらの故郷》(1863)をまとめたのみで,多くの未完の作品を残したまま没した。彼の作風は,いわゆるリアリズムではない。虚構性の強いロマンスだが,象徴的・寓話的手法を駆使して,人間の心の洞窟にひそむ悪をえぐり出し,H.ジェームズなどに大きな影響を与えた。また《ワンダー・ブック》(1851)などの優れた児童文学を残したことも記憶されるべきである。
執筆者:島田 太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報