日本歴史地名大系 「手塚村」の解説
手塚村
てづかむら
上田市の南東、
考古遺跡の出土品が多く、
慶長一三年(一六〇八)真田氏の貫高帳(大井文書)に「四百八拾弐貫弐百弐拾文」と記され、元和八年(一六二二)仙石氏の上田領高石帳(若林勅滋氏蔵)に「四百八拾弐貫百弐拾文 高千百九拾壱石八升三合」とあり、これが近世を通じての村(後の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
上田市の南東、
考古遺跡の出土品が多く、
慶長一三年(一六〇八)真田氏の貫高帳(大井文書)に「四百八拾弐貫弐百弐拾文」と記され、元和八年(一六二二)仙石氏の上田領高石帳(若林勅滋氏蔵)に「四百八拾弐貫百弐拾文 高千百九拾壱石八升三合」とあり、これが近世を通じての村(後の
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