手塚村(読み)てづかむら

日本歴史地名大系 「手塚村」の解説

手塚村
てづかむら

[現在地名]上田市大字手塚

上田市の南東塩田平しおだだいらを貫流するさん川が塩田平に流出する地点に位置している集落。東は前山まえやま村、西は野倉のぐら山田やまだ村、南は独鈷とつこ山を隔てて丸子まるこ西内にしうち、北は舞田まいた中野なかの十人じゆうにん村と接する。

考古遺跡の出土品が多く、王子塚おうじづかをはじめ数基の古墳の跡が数えられる。天正三年(一五七五)武田勝頼が木曾の山村良候に手塚の地を宛行った文書(山村文書)に「信州手塚の四五貫文の所相渡し候云々」とある。同六年上諏訪造宮帳(諏訪大社上社文書)には「三之御柱 小県郡塩田拾二郷」の条の中に「手塚郷 四貫五百文」とある。

慶長一三年(一六〇八)真田氏の貫高帳(大井文書)に「四百八拾弐貫弐百弐拾文」と記され、元和八年(一六二二)仙石氏の上田領高石帳(若林勅滋氏蔵)に「四百八拾弐貫百弐拾文 高千百九拾壱石八升三合」とあり、これが近世を通じての村(後の新町しんまちを含む)の貫(石)高となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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