日本歴史地名大系 「手塚村」の解説
手塚村
てづかむら
[現在地名]上田市大字手塚
上田市の南東、
考古遺跡の出土品が多く、
慶長一三年(一六〇八)真田氏の貫高帳(大井文書)に「四百八拾弐貫弐百弐拾文」と記され、元和八年(一六二二)仙石氏の上田領高石帳(若林勅滋氏蔵)に「四百八拾弐貫百弐拾文 高千百九拾壱石八升三合」とあり、これが近世を通じての村(後の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
上田市の南東、
考古遺跡の出土品が多く、
慶長一三年(一六〇八)真田氏の貫高帳(大井文書)に「四百八拾弐貫弐百弐拾文」と記され、元和八年(一六二二)仙石氏の上田領高石帳(若林勅滋氏蔵)に「四百八拾弐貫百弐拾文 高千百九拾壱石八升三合」とあり、これが近世を通じての村(後の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...