長野県中東部、小県郡(ちいさがたけん)にあった旧町名(丸子町(まち))。現在は上田(うえだ)市の南部を占める。旧丸子町は1912年(大正1)町制施行。1954年(昭和29)西内(にしうち)、東内の2村、1955年依田(よだ)、長瀬(ながせ)の2村、1956年塩川村を合併。2006年(平成18)上田市に合併。旧町域は千曲(ちくま)川の支流依田川流域で川沿い以外は平地に乏しい。依田川流域の中心地で、明治から昭和初期にかけては県下でも有数の製糸工業の町として知られた。第二次世界大戦中に、製糸工場の建物を利用して、電機や一般機械工業が疎開、以来電機工業が盛んである。農業では、薬用ニンジンを特産し、リンドウ、キキョウなどの花卉(かき)栽培が盛ん。依田川渓谷の西内地区には霊泉寺(れいせんじ)、鹿教湯(かけゆ)、大塩(おおしお)の温泉群があって、内村温泉郷(丸子温泉郷)とよばれ、国民保養温泉地に指定されている。国道152号、254号が通じる。
[小林寛義]
静岡市駿河区(するがく)西部の一地区。中央部を丸子川が東流し、国道1号が通じる。東海道五十三次の宿場町として栄えた。今川氏に仕えた連歌(れんが)師宗長(そうちょう)が開いた吐月峰柴屋寺(とげっぽうさいおくじ)があり、庭園は国の史跡・名勝。丸子の名物とろろ汁は有名。機械金属工業団地がある。
[川崎文昭]
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駿河国の宿駅。現在は静岡市駿河区に属する。《吾妻鏡》に〈駿河国麻利子一色〉と見えるが,鎌倉期には手越宿のほうが有名であった。紀行文などに丸子がしばしば現れるのは戦国期になってからで,駿河国島田に生まれた連歌師宗長(そうちよう)は,今川氏親に迎えられて当地に柴屋軒(さいおくけん)を結庵した。また室町期に今川氏の手によって丸子城が築かれ,戦国期武田氏の侵攻により大幅に増築されたが,徳川氏の関東転封とともに廃城となった。近世東海道の丸子宿は1601年(慶長6)に幕府により設定された。品川宿から数えて20番目にあたり,《東海道宿村大概帳》によれば,東は府中宿(駿府)へ1里16町,西は岡部宿へ2里に位置し,宿内の町並みは東西7町であった。1843年(天保14)の調べでは宿内人口795人,惣家数211軒(うち本陣1,脇本陣2,旅籠屋24軒)であり,ほかに大通行のときに休泊を請け負う寺院として歓昌院があった。いわゆる〈東海道五十三次〉のうちでも,小規模な宿駅に属する。茶店のとろろ汁が名物。
執筆者:本多 隆成
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(2012-09-11)
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