手子丸村(読み)てこまるむら

日本歴史地名大系 「手子丸村」の解説

手子丸村
てこまるむら

[現在地名]豊里町手子生てこまる

高野こうや村の西、西谷田にしやた川水系に囲まれた微高台地に位置。「手配」などとも記す。文禄四年(一五九五)の中務大輔当知行目録(秋田県立図書館蔵)に「仁百七石九斗九升 てこまる」とあり、佐竹(東)義久領となっていたが、慶長七年(一六〇二)の佐竹氏移封後、同八年一〇月には小田氏旧臣菅谷範政が筑波郡内に五千石を有する旗本となり、当村もその知行地内となった。元禄一一年(一六九八)旗本堀田氏などの相給領となって廃藩置県に及んだ。「各村旧高簿」によると明治元年(一八六八)には堀田大五郎知行地四〇一・四一九九石、東条源右衛門・小宮山守之介・坪内主膳・美濃部彦十郎・松下由之助・成瀬修理・青木金吾知行地がそれぞれ二七・八石、桑山弁吉・酒井八三郎・倉橋三左衛門知行地がそれぞれ二〇・七六三七石、鹿島太神除地二・一八九石、照西しようさい寺除地一・三一四石に分れていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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