手永(読み)てなが

改訂新版 世界大百科事典 「手永」の意味・わかりやすい解説

手永 (てなが)

近世,細川氏が豊前,肥後で設けた地方行政単位で,郡の下に30村程度を束ねる。慶長(1596-1615)末年ごろ始めたらしい。北九州では手の届く範囲を〈てなが〉と言ったところから,これをとったという。1622年(元和8)豊前小倉藩領には73手永があった。細川氏は肥後入国後それまでの郷組制を手永制に切り替え,35年(寛永12)ごろの熊本藩領の手永数は100以上と推定される。幕末には51手永となる。1手永の石高は河江(ごうのえ)手永2万7231石から久木野(くぎの)手永518石まであり,平均1万石であった。1870年(明治3)8月,郷と改称された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

関連語 松本

1 多数の語を集録し、一定の順序に配列して一つの集合体として、個々の語の意味・用法、またはその示す内容について記したもの。語のほかに接辞や連語・諺なども収める。また、語の表記単位である文字、特に漢字を...

辞書の用語解説を読む