日本大百科全書(ニッポニカ) 「久木野」の意味・わかりやすい解説
久木野
くぎの
熊本県中東部、阿蘇(あそ)郡にあった旧村名(久木野村(むら))。現在は南阿蘇村の南部を占める。旧久木野村は2005年(平成17)に白水(はくすい)村、長陽(ちょうよう)村と合併して南阿蘇村となった。阿蘇火山の南西部、南郷谷(なんごうだに)の一部を占め、阿蘇外輪山の分水界から阿蘇カルデラの火口原を流れる白川左岸にかけて広がっている農山村である。基幹作物は、江戸中期の用水路開削(片山嘉左衛門(かざえもん)らによる)後に盛んとなった稲作で、主として火口原に広がっている650ヘクタールの水田は南郷谷の穀倉地帯の名にふさわしい。減反実施後は、秋野菜類の導入が著しく、トマト栽培は国の産地指定を受けるまでに急成長している。副業であった畜産、林業も、山地斜面の草地改造と植林の励行によって、それぞれに主業的地位を得つつある。このほか、新たな動きとしては、地の利を生かした種々な保養・教育施設の建設がある。郷土芸能に、興ずると共同墓地の石塔の間を踊り回る久石(ひさいし)(井手口(いでぐち))地区の「墓祭」は、阿蘇地方の奇祭の一つである。
[山口守人]