日本歴史地名大系 「手眼寺跡」の解説 手眼寺跡しゆがんじあと 和歌山県:有田郡広川町西広村手眼寺跡[現在地名]広川町西広西広(にしひろ)の東部山麓寺谷(てらだに)にあったが、現存しない。江戸時代には浄土宗西山派中野(なかの)村(現広川町)法蔵(ほうぞう)寺末。独開山と号し、本尊千手観音。もとは真言宗であったが、明秀が法蔵寺を創建後、末寺になったと伝える。現在は本堂はなく、方四間の観音堂と庫裏が残る。本尊千手観音立像は後世の補修が目立つが、一〇世紀頃の作と推定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報