西広村(読み)さいひろむら

日本歴史地名大系 「西広村」の解説

西広村
さいひろむら

[現在地名]市原市西広

惣社そうじや村の南東養老ようろう川右岸に位置する。本郷の一八軒が草分であったという。文和二年(一三五三)五月一六日の足利尊氏下文(野田文書)にみえる上総国前広さきひろ郷は当地と考えられ、安房東条とうじよう(現館山市)内の鴻栖こうがす村などの替地として佐々木氏(長綱か)に与えられている。永禄三年(一五六〇)頃と推定される足利義氏朱印状(喜連川文書)真野まの郡内として「さいひろ 卅貫文」とみえ、足利公方の母芳春(北条氏綱娘)仰せにより、北条氏康が判物で当地を遠山弥八郎に宛行っている。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高二八二石。元禄郷帳では高三〇四石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高三二〇石余で家数六一、五井藩領。


西広村
にしひろむら

[現在地名]広川町西広

山本やまもと村の西南方にあり、山を負ひ海に臨む。由良街道が通じ、山本および南の唐尾かろ村と結ばれる。中世ひろ庄は東広ひがしひろと西広に分れており、現広川町のうち山本以西の西部地域が西広にあたる。当村の名称はその名残であろう。慶長検地高目録によれば村高五四一石余、小物成九升六合。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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