日本歴史地名大系 「打出本江村」の解説 打出本江村うちでほんごうむら 富山県:新湊市打出本江村[現在地名]新湊市本江(ほんごう)・本江西(ほんごうにし)・本江東(ほんごうひがし)・本江北(ほんごうきた)・本江南(ほんごうみなみ)現新湊市の東端、旧放生津(ほうじようづ)潟に堆積した三角洲に位置する。集落の南を北陸街道が通り、下村(しもむら)宿(現下村)・東岩瀬(ひがしいわせ)宿(現富山市)に通じる。東は打出(うちいで)村(現富山市)で、同村からの出村といわれるが、村名は打出の本郷ともとれる。寛永一〇年(一六三三)の牛ヶ首用水在々水割帳(牛ヶ首用水土地改良区蔵)に、中(なか)郡(射水郡)本郷村とみえ、縦一尺・横一尺四寸八分の取入樋を利用する権利を有した。正保郷帳では高一千四七六石余、田方九四町七反余・畑方三町六反余、新田高二六一石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高一千七九五石、免五ツ、小物成は野役一匁(ほか二六匁退転)・網役八一匁(ほか三三匁退転)・猟船櫂役三〇匁(退転)・地子銀一五〇目、三歩半口銭七匁余(出来)であった(三箇国高物成帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by