打穴保・打穴庄(読み)うたのほ・うたののしよう

日本歴史地名大系 「打穴保・打穴庄」の解説

打穴保・打穴庄
うたのほ・うたののしよう

打穴川流域の打穴上・打穴北・打穴里・打穴西・打穴中・打穴下を遺称地とし、一帯に推定される。「兵範記」仁安二年(一一六七)一〇月・一一月の裏文書である一一月二〇日の勝慶請文は、打穴保に関する院宣の請文であり、同年頃に当保をめぐって相論があったことが推測される。永和元年(一三七五)一一月六日の後円融天皇綸旨(案、東寺百合文書)で大嘗会米が免除された京都法勝ほつしよう(跡地は現左京区)領に保名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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