扶余定林寺址五層石塔(読み)ふよじょうりんじしごそうせきとう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「扶余定林寺址五層石塔」の意味・わかりやすい解説

扶余定林寺址五層石塔
ふよじょうりんじしごそうせきとう

大韓民国(韓国)中央西部,チュンチョンナム(忠清南)道南西部,プヨ(扶余)邑定林寺址にある三国時代百済の石塔。7世紀に建造。木造塔婆の形式を石造に移したもので,二重基壇上に建ち,屋根の勾配がゆるやかで軒が深く,各層の逓減比率が大きい。初層塔身四面に,義慈王20(660)年百済滅亡の際,進攻軍の唐将の一人,蘇定方戦勝を記念して撰文した大唐平百済碑銘が刻まれているため,大唐平百済塔(だいとうへいひゃくさいとう)とも呼ばれた。2015年世界遺産の文化遺産に登録された。(→扶余遺跡朝鮮石塔

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