改訂新版 世界大百科事典 「蘇定方」の意味・わかりやすい解説 蘇定方 (そていほう)Sū Dìng fāng生没年:592-667 中国,唐の武将。字は定方。冀州武邑(河北省)の人。貞観(627-649)ころより突厥,高句麗への外征や西突厥の叛臣の阿史那賀魯の討伐で功をあげた。660年(顕慶5)高宗のとき,左武衛大将軍として新羅の要請をうけ,水軍を率いて百済の義慈王らを泗沘,熊津両城に陥れ,滅ぼした。翌661年(竜朔1),遼東道行軍大総管として高句麗に進撃,8月平壌城を囲んだ。帰国後涼州安集大使として吐蕃(とばん),吐谷渾(とよくこん)を平定。死後,左驍衛大将軍幽州都督を贈られた。執筆者:鈴木 靖民 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by