定林寺址(読み)じょうりんじし(その他表記)Chǒngnimsa-ji

改訂新版 世界大百科事典 「定林寺址」の意味・わかりやすい解説

定林寺址 (じょうりんじし)
Chǒngnimsa-ji

大韓民国,忠清南道扶余郡扶余邑東南里にある寺院址。1942-43年と,79-80年に大規模な発掘調査が行われた。主要伽藍は,日本で四天王寺式配置といわれるものに相当し,南北軸線上に,南から中門,塔,金堂講堂順序で一直線上に並び,周囲を回廊で囲む。現在,創建当初の石造五重塔と,講堂跡中央に高麗時代の丈六石仏が残る。寺跡からは,百済時代末期から,統一新羅時代を経て,高麗時代にいたる屋瓦が出土する。高麗時代の平瓦のなかに,太平8年(1028)と定林寺の銘が印されたものがあり,この寺は連続的に存続していたと考えられるところから,定林寺の寺名が百済時代までさかのぼることを思わせる。五重塔の初層塔身四面に,いわゆる大唐平百済国碑銘が刻まれている。義慈王20年(660)に,百済が唐・新羅連合軍に敗れたとき,唐軍によって刻まれた百済滅亡時の記念碑ともいうべきものである。定林寺址は,王宮跡の真南で,都城のほぼ中央に位置しており,官立的色彩が強い。

 出土遺物は,屋瓦,土器陶硯陶俑塑像など豊富であるが,とくに,陶俑は北魏の影響を濃厚に受けている点が注目される。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「定林寺址」の意味・わかりやすい解説

定林寺址
じょうりんじし

奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村大字立部(たちべ)に存在する、法隆寺式伽藍(がらん)配置の飛鳥(あすか)時代の寺院址。1953年(昭和28)に塔址の発掘が行われ、心礎が地表下約2メートルよりみいだされた。金堂址は削平(さくへい)されて不明、講堂址は基壇の一部を残し、回廊址は塔の東および西回廊の一部が調査された。塔心礎上方から塑造(そぞう)菩薩(ぼさつ)像の頭・足部の残片、金銅環、鉄鋲(てつびょう)、土師器(はじき)、須恵器(すえき)の破片などが出土した。古瓦(こがわら)類は飛鳥時代より鎌倉時代のもので、ほかに塼仏(せんぶつ)残片などの出土が知られている。本寺は聖徳太子建立寺院の一として著名である。

[坂詰秀一]

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