日本歴史地名大系 「承慶橋」の解説 承慶橋しようけいばし 岩手県:紫波郡紫波町郡山三町承慶橋[現在地名]紫波町二日町二日(ふつか)町の東部、城(しろ)山東側の北上川に架けられた橋。志和(しわ)稲荷神社参詣の帰途、郡山(こおりやま)宿を経て東長岡(ひがしながおか)村の八坂神社へ参詣するための御成橋として、盛岡藩主南部利済の代の弘化三年(一八四六)五月に完成した(紫波郡誌)。北上川に中島を築きその両側に橋を架けるという、当時の架橋工事としては領内最大の規模であった。橋柱の擬宝珠に刻まれた藩医江通誠の銘に「承慶橋成矣 都鄙老少踊躍踏舞 黎民免沈溺之患 商賈喜交易之便 魚塩穀粟陸続不絶 行旅牛馬絡繹相連 嗚呼壮挙哉」とあり(内史略)、北上川の東西を結ぶ交通事情に多大の改善をもたらした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by