折敷畑山
おしきばたやま
御手洗川と可愛川の間にあり、宮内地区の西部を占める標高三六六・九メートルの山。山裾より沿岸部へ向けて宗高尾・谷宗尾・越峠尾・藤掛尾と称する尾根状の丘陵が出張り、これらは他の丘陵とともに七尾と総称される。
天文二三年(一五五四)九月二五日付の毛利元就同隆元連署感状(「閥閲録」所収波多野源兵衛家文書)に「去ル九月十五日於
小方・折敷畑・七尾
、陶与合戦」とあり、陶晴賢の武将宮川甲斐守と毛利軍が戦った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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