日本歴史地名大系 「拾六村」の解説 拾六村じゆうろくむら 岐阜県:大垣市旧多藝郡・不破郡地区拾六村[現在地名]大垣市十六町(じゆうろくちよう)大谷(おおたに)川右岸に位置し、村内を相(あい)川が南東流する。一村一輪中の拾六輪中を明治二年(一八六九)に形成。北は島(しま)村・荒川(あらかわ)村、南は相川対岸の枝郷大野(おおの)輪中、東は大谷川を隔てて綾里(あやさと)輪中に接する。南流する大谷川には遊水地があり、当村の南東部で相川と合流。村名は古代の条里制地割の一六条に由来するとされる。慶長郷帳では村高一千二〇石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳には十六之郷村とみえ、美濃国奉行岡田善同領、村高一千一二〇石余。同五年尾張藩領となり(明暦覚書)、幕末に至る。正保郷帳では田高八五三石余・畑高二六七石余。垂井(たるい)宿(現不破郡垂井町)の助郷を勤める(臼井本元禄郷帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by