持石村(読み)もちいしむら

日本歴史地名大系 「持石村」の解説

持石村
もちいしむら

[現在地名]益田市高津町たかつちよう

高津川左岸、東は高津村、南は市原いちはら村、北は日本海。地名のいわれは往古漂着した神石に由来するという(石見八重葎)。東西に長い砂浜海岸で、丘が海に迫り耕地は乏しい。慶長五年(一六〇〇)津和野藩領、坂崎家断絶により元和二年(一六一六)幕府領、翌三年津和野藩領となる。古高四五石余、寛永一四年(一六三七)の検地高五五石余(万手鑑)正保国絵図では高五二石余、柴草山有と注記される。津和野藩高津組六浦の一つで、持石海岸は東西四キロにも及び、製塩をして領内の需要を満たした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

〘 名詞 〙 春の季節がもうすぐそこまで来ていること。《 季語・冬 》 〔俳諧・俳諧四季部類(1780)〕[初出の実例]「盆栽の橙黄なり春隣〈守水老〉」(出典:春夏秋冬‐冬(1903)〈河東碧梧桐・高...

春隣の用語解説を読む