掃守村(読み)かもりむら

日本歴史地名大系 「掃守村」の解説

掃守村
かもりむら

[現在地名]三原町榎列掃守(えなみかもり)

松田(まつだ)村の北にあり、北部は細長い丘陵地、南部は平地からなる。北端を流れる倭文(しとおり)川に並行してその南を長田(ながた)川が西流。南部を秦(はだ)川下流の掃守川が蛇行して西に流れ、円行寺(えんぎようじ)川と合流する。中央に小丘の岡(おか)山がある。東部を中(なか)街道が南北に通る。天正一四年(一五八六)一一月三日の淡路国御蔵入目録に「かもり」とみえ、九一三石が羽柴秀吉の蔵入地となっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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