日本歴史地名大系 「長楽寺跡」の解説
長楽寺跡
ちようらくじあと
戦国後期には長楽寺と明王院の存在が確認できる。「天文日記」によれば、天文五年(一五三六)から同一六年にかけて「加州倶利迦羅長楽寺」の住持職(明王院院主職を兼帯)をめぐり、紀伊順遍と実印の間で執拗な相論が展開されている。この相論は本願寺実如のときすでに始まっており、実如は
長楽寺跡
ちようらくじあと
長楽寺跡
ちようらくじあと
長楽寺跡
ちようらくじあと
長楽寺跡
ちようらくじあと
長楽寺跡
ちようらくじあと
長楽寺跡
ちようらくじあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報