掛保久村
かきぶくむら
内間村の東にあり、北は中城間切伊集村(現中城村)。東に耕地が広がる。絵図郷村帳に「かけほこ村」とみえる。「琉球国旧記」「琉球国由来記」には掛保久村とある。西原間切の地頭代は当村名にちなんで掛福親雲上を称した(一八八〇年役俸調書)。乾隆六年(一七四一)首里に防火を管掌する惣与頭が設置されると同時に、当村も嘉手苅村にある内間御殿で内間・嘉手苅・小那覇の三ヵ村とともにその任に就いた(「球陽」附巻尚敬王二九年条)。「琉球国由来記」に掛保久火神の拝所、祭祀場としてソデバナノ殿が記載され、内間ノロが祭祀を管轄した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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