掛塚村(読み)かけつかむら

日本歴史地名大系 「掛塚村」の解説

掛塚村
かけつかむら

[現在地名]竜洋町掛塚

天竜川下流の掛塚輪中の中央やや西寄りに位置する村。西は同川を挟んで芋瀬いもせ(現浜松市)、南は遠州灘。中世は「懸塚」と記されることが多く、中世・近世を通して湊として繁栄した。寛永三年(一六二六)には検地を受けたという(遠淡海地志)正保郷帳に掛塚村とみえ、幕府領。田七石余・畑一七二石余、木船きぶね大明神領五石・西光さいこう寺領二石余・香乗寺(現香集寺)領二石余・万福まんぷく寺領三石。元禄郷帳では高六一七石余、枝郷に萱野新田かやのしんでん(現浜松市)高四一石余・掛塚向かけつかむかい新田(現同上)高七三石余がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む