日本歴史地名大系 「揖深庄」の解説
揖深庄
いぶかのしよう
平安時代末よりみられる摂関家領庄園。「和名抄」
建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)に揖深庄の名がみえ、京極殿すなわち藤原師実に由来する庄園であった上有知庄・摂津国細河庄とともに近衛家実の女鷹司院(長子・後堀河天皇中宮)に、寛元二年(一二四四)に伝領されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
平安時代末よりみられる摂関家領庄園。「和名抄」
建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)に揖深庄の名がみえ、京極殿すなわち藤原師実に由来する庄園であった上有知庄・摂津国細河庄とともに近衛家実の女鷹司院(長子・後堀河天皇中宮)に、寛元二年(一二四四)に伝領されている。
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