揖深庄(読み)いぶかのしよう

日本歴史地名大系 「揖深庄」の解説

揖深庄
いぶかのしよう

平安時代末よりみられる摂関家領庄園。「和名抄武藝むげ郡九郷の一つ揖可いぶか郷に連なる庄園と考えられ、最初武儀むぎ郡に属するが、室町時代後期より加茂郡に移管される。現伊深いぶか町を中心とした一帯に比定される。中世には揖深の表記が用いられることが多いが、井深などとも書かれる。長寛元年(一一六三)頃と推定される美濃国諸庄未進注文(兵範記裏文書)に「揖保六丈絹十一疋四丈」とある。この「揖保」は揖深庄をさすものと思われ、長寛二年と推定される某書状二通(同文書)では、「揖深十疋四丈」の六丈絹とある。

建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)に揖深庄の名がみえ、京極殿すなわち藤原師実に由来する庄園であった上有知庄・摂津国細河庄とともに近衛家実の女鷹司院(長子・後堀河天皇中宮)に、寛元二年(一二四四)伝領されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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