伊深村(読み)いぶかむら

日本歴史地名大系 「伊深村」の解説

伊深村
いぶかむら

[現在地名]美濃加茂市伊深町

川浦かわうら川を境に、山之上やまのうえ村・蜂屋はちや村の北に続く。南西端で大洞おおぼら川が合流し、川下加治田かじた(現加茂郡富加町)中世揖深いぶか庄に属し、村内に残る神社の棟札は、享保一八年(一七三三)の「牛頭天王持徳天王社」棟札まで揖深村と記す。「金山記」によれば佐藤紀伊守の一族佐藤勘右衛門は金山かねやま(現可児郡兼山町)の森家に属していたが、文禄二年(一五九三)伏見ふしみ(現京都市伏見区)築城普請奉行に抜擢され、その頃より当村を領した。慶長郷帳では佐藤勘右衛門領が一千石・三〇〇石の二筆、幕府領が高七一石余。また、幕府領伊吹村山年貢米五石とあるのは当村の誤記と思われる。


伊深村
いぶかむら

[現在地名]松本市岡田 伊深

天正検地では、岡田郷全体として一千一〇四石四斗八升と高付けされている。寛永一九年(一六四二)の信州松本御領分村々高附帳に井深村四一五石八斗八升八合と初めて高付けされる。享保一一年(一七二六)伊深村と変わって五三七石五斗九升九合となる。「信府統記」によると「御朱印高四百四拾八石五斗六升二合」とあり享保九年当時の石高は五三七石五斗九升九合である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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