日本歴史地名大系 「摩国府跡」の解説 摩国府跡さつまこくふあと 鹿児島県:川内市大小路村摩国府跡[現在地名]川内市国分寺町・御陵下町川内川右岸の標高一三メートルの洪積台地上の国分寺(こくぶんじ)町と御陵下(ごりようした)町の境にある南北方向に真っすぐ延びた道路を中軸とする六町四方の範囲が国府域とされている。江戸時代、「三国名勝図会」は国府の位置を高城(たき)郡高城郷下之(しもの)村の屋形(やかた)ヶ原(現高城町屋形原)を「往古薩摩国の都府にて、国司館所の遺墟ならん」としていることから同所と考えられてきた。だが昭和三九年(一九六四)の発掘調査によって大小路(おおしようじ)(御陵下町)字入来原(いりきばる)で倉庫と思われる柱間三間×三間のやや東西に長い総柱の礎石建物が発見されたことにより、この地に確定された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報