撫川城跡
なつかわじようあと
[現在地名]岡山市撫川
庭瀬藩陣屋跡の西に隣接する。小倉城ともよばれた。築城時期は不明であるが、築城当時は備前・備中の国境の固めとして築かれた毛利七城の一つであった庭瀬城の一郭をなしていたと推定される。城跡は東西八五メートル・南北五五メートルの長方形をなし、四周に一五メートル前後の堀がめぐり、野面積みの石垣や礎石の遺構が残っている。県指定史跡。「備中府志」によると藤井久任の築城で、久任は寛治年中(一〇八七―九四)在世と旧記にみえるという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 