撫川城跡(読み)なつかわじようあと

日本歴史地名大系 「撫川城跡」の解説

撫川城跡
なつかわじようあと

[現在地名]岡山市撫川

庭瀬にわせ藩陣屋跡の西に隣接する。小倉城ともよばれた。築城時期は不明であるが、築城当時は備前備中国境の固めとして築かれた毛利七城の一つであった庭瀬城の一郭をなしていたと推定される。城跡は東西八五メートル・南北五五メートルの長方形をなし、四周に一五メートル前後の堀がめぐり、野面積みの石垣や礎石遺構が残っている。県指定史跡。「備中府志」によると藤井久任の築城で、久任は寛治年中(一〇八七―九四)在世と旧記にみえるという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 寄手 落城

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む