教浄寺(読み)きようじようじ

日本歴史地名大系 「教浄寺」の解説

教浄寺
きようじようじ

[現在地名]盛岡市北山一丁目

東禅とうぜん寺の南東に位置する。雍護山と号し、時宗。本尊阿弥陀如来は源信の一刀三礼の作で、摂津多田源氏の祖源満仲の守り本尊と伝えられる。相州清浄光しようじようこう(現神奈川県藤沢市)末で、開祖は覚阿湛然、開基は南部信長。盛岡五山の一寺で、寺領三〇〇石(盛岡砂子)。正慶二年(一三三三)南部茂時(北条茂時とする説もある)が戦に敗れて鎌倉で自害したので、弟信長が兄の菩提寺として陸奥三戸に一寺を建立し、法名の教浄寺殿正阿清空天心大居士から寺号をとったという(「盛岡砂子」「盛岡市史」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android