敷田庄(読み)しきだのしよう

日本歴史地名大系 「敷田庄」の解説

敷田庄
しきだのしよう

現宇佐市上敷田・中敷田・下敷田・南敷田を遺称地とし、庄域は一帯に比定される。天文年中(一五三二―五五)の頃と思われる年未詳五月一二日の萩原道昌条々事書(萩原文書)によると、道昌は相伝の「宇佐郡敷田庄之内、神代壱岐守安綱分領下作職」を前年秋に安綱によって押領された。このため道昌は下作職の回復を杉重矩に訴えている。萩原氏は豊後国大分郡萩原はぎわら(現大分市)名字の地とし、応永年中(一三九四―一四二八)房円の代に宮熊みやぐま村に移り築城、その子種親が上敷田に居を移したという(「萩原系図」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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