斎藤基恒(読み)さいとう もとつね

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤基恒」の解説

斎藤基恒 さいとう-もとつね

1394-1471 室町時代武士
応永元年生まれ。政所寄人(まんどころよりゅうど),幕府奉行人(恩賞方)をへて,長禄(ちょうろく)2年式評定衆となった。執務日記斎藤基恒日記」は子親基(ちかもと)の日記とともに幕政を知る史料として貴重である。文明3年3月19日死去。78歳。初名は基世。法名は玄良。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の斎藤基恒の言及

【斎藤氏】より

…建武政府の雑訴決断所五番方にも斎藤基夏なる奉行人が見え,これは1343年(興国4∥康永2)室町幕府の奉行人であったことが明らかであるが,さきの基明の一族と推定される。室町幕府では,三善康連の後裔である飯尾氏と並んで多数の奉行人を一族から出し,将軍足利義教・義政に仕えた斎藤基恒・親基などは政所の事務長たる執事代に昇っている。《斎藤基恒日記》《斎藤親基日記》はその公務日記で,室町中期政治史の基本史料。…

【斎藤基恒日記】より

…1440‐56年(永享12‐康正2)の斎藤基恒の日記。基恒は室町幕府奉行人で,政所執事代や神宮開闔(かいこう)を務め式評定衆に昇格した人。…

※「斎藤基恒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android