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恩賞方 おんしょうがた

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

恩賞方
おんしょうがた

建武新政権が武士の勲功を調査し,恩賞を与えるために設けた職名。元弘の乱後,武士の軍功調査事務が渋滞したため,建武1 (1334) 年鎌倉幕府恩沢奉行にならって設置したもの。恩賞方四番の制は公卿以下 17名で構成され,1番は東海道および東山道地方で番頭吉田定房が,2番は北陸道地方で番頭九条光経が,3番は畿内,山陽道,山陰道地方で番頭万里小路藤房 (→藤原藤房 ) が,4番は南海道および西海道地方で番頭四条隆資が,それぞれ分担したが,実質的効果をあげることができずまもなく廃止された。

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デジタル大辞泉の解説

おんしょう‐かた〔オンシヤウ‐〕【恩賞方】

建武中興政府の職名。論功行賞を取り扱ったが、事務が遅延し、公平を欠いたために諸将の不満を買った。

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百科事典マイペディアの解説

恩賞方【おんしょうかた】

建武新政期および室町幕府において恩賞事務を取り扱った役所。建武政府発足当初の1334年設置され,洞院実世(とういんさねよ)らが上卿として審議した。しかし後醍醐天皇親裁による恩賞宛行とは連携せず,恩賞を望む武士たちの混乱を招き,翌年,全国を4地方に分けて4人の頭人による4番制を採用するが,効のないまま廃絶。
→関連項目建武年間記

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世界大百科事典 第2版の解説

おんしょうかた【恩賞方】

建武政府および室町幕府において恩賞事務を取り扱った役所。1333年(元弘3),建武政府の発足当初に洞院実世万里小路(までのこうじ)藤房,九条光経らを上卿とし,恩賞問題の審議機関として設置された。しかし,後醍醐天皇親裁による恩賞宛行(あておこない)と恩賞方の審議とは必ずしも連携せず,恩賞問題は混乱した。34年(建武1),全国を4地区に分け,吉田定房(東海・東山道),九条光経(北陸道),万里小路藤房(畿内・山陽・山陰道),四条隆資(南海・西海道)をそれぞれ頭人とする四番制を採用して機構を整備した。

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大辞林 第三版の解説

おんしょうかた【恩賞方】

建武政府の職名。軍功を検討して恩賞を与える部局。1333年設置されたが決定権がなく事務が遅滞し、廃絶。
室町幕府の職名。1336年設置。勲功を検討して恩賞を決定した。恩賞奉行。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

恩賞方
おんしょうがた

建武(けんむ)政権、室町幕府の職名。論功行賞を取り扱い、恩賞の申請を受理し、恩賞業務を管轄し審議する機関。建武政権においては1333年(元弘3・正慶2)7月ごろ発足したが、翌年全国を4地方に分けて恩賞方を置き、強化しようとした。しかし恩賞を望む者が多かったり、足利尊氏(あしかがたかうじ)らの有力者が恩賞方に参加しなかったりしたので、十分な活動ができなかった。室町幕府の恩賞方は、1336年(延元1・建武3)幕府成立直後に設置された。恩賞宛行(あておこない)は将軍のもっとも固有な権限であったから、尊氏のときには執事(しつじ)高師直(こうのもろなお)が頭人に任ぜられた。恩賞方は将軍に密着した直属機関であったので恩賞方の審議は将軍の御前で行われる場合が多く、恩賞方の奉行人(ぶぎょうにん)は御前沙汰衆(ごぜんさたしゅう)でもあった。[伊藤喜良]

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世界大百科事典内の恩賞方の言及

【記録所】より


[後醍醐朝の記録所]
 こうして院政下では文殿,親政下では記録所と機能が分化移行するようになり,1321年(元亨1)後醍醐天皇が親政を開始するや,早速記録所を設置し,訴訟を裁断した。ついで33年(元弘3)鎌倉幕府が滅亡すると,天皇は恩賞方や雑訴決断所を新設し,従来量的にも記録所の職務に大きな部分を占めていた雑訴をこれに移し,記録所は訴訟のうちでも寺社・権門にかかわる大事のみを取り扱い,中央政府のなかに中心的な機関の地位を占めた。そして建武政府の倒壊後,北朝では院政が復活し,文殿が活動する一方,記録所の名称は近世初頭の内裏まで存続したが,その間実質的な機能を急速に失っていった。…

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