斎藤正躬(読み)サイトウ マサミ

20世紀日本人名事典 「斎藤正躬」の解説

斎藤 正躬
サイトウ マサミ

昭和期のジャーナリスト



生年
明治44(1911)年10月30日

没年
昭和42(1967)年3月16日

出生地
千葉県東金市

学歴〔年〕
水戸高等学校文科〔昭和8年〕中退

経歴
昭和9年新聞連合社に入り社会部に勤め、11年同社の同盟通信社への発展的解消で同盟通信社に入り社会部、中国特派員、ストックホルム支局長となった。20年同社解散、共同通信社となり、21年帰国して同社渉外部次長、社会部次長、社会部長。25年レッド・パージに職制ながら反対退社した。27年被解雇者と会社側が和解して復社、社会部次長、社会部長、ワルシャワ支局長、編集局総務、特信局総務となり、40年退社。著書に「独立への苦悶」「スポーツ」「オリンピック」「名選手」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤正躬」の解説

斎藤正躬 さいとう-まさみ

1911-1967 昭和時代のジャーナリスト。
明治44年10月30日生まれ。昭和9年新聞連合社に入社。合併後の同盟通信社勤務をへて,戦後新設の共同通信社にはいる。25年社会部長のときレッド-パージに反対して退社。27年復社し,ワルシャワ支局長などをつとめた。昭和42年3月16日死去。55歳。千葉県出身。水戸高中退。著作に「独立への苦悶」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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