復社(読み)ふくしゃ(その他表記)Fù shè

精選版 日本国語大辞典 「復社」の意味・読み・例文・類語

ふく‐しゃ【復社】

  1. 〘 名詞 〙 いったん休職、または退職した会社に再び入社すること。

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改訂新版 世界大百科事典 「復社」の意味・わかりやすい解説

復社 (ふくしゃ)
Fù shè

中国,明末の江南の地主階級の知識人を主とする文学結社。天啓年間(1621-27),科挙受験のための八股文(はつこぶん)の評選を行う,一種の予備校的文社が各地に起こったが,太倉の張溥(ちようふ)による応社が,その最初である。1633年(崇禎6)江南の各文社は,蘇州の虎丘に集まり,古学の復興をスローガンとして復社と称し,張溥を盟主として合体した。これはしだいに天下俊秀を網羅する全国的組織に発展し,科挙に大量の合格者を出すにおよんで,政界の一大勢力にのしあがった。彼らは政治的には東林党の主張を継ぎ,清流を自任して時政批判を始め,当時の政府と鋭く対立した。しかし組織が急速に巨大化したため,腐敗分子による内部矛盾もようやく露呈し,陸文声にその不正を告発されるが,その間に張溥は死に,つづいて明も滅亡する。陳子竜などの抗清殉難者,呉偉業や侯方域などの詩文人,顧炎武黄宗羲などの考証学開祖は,みなこの復社の有名メンバーで,明末・清初の時代は,彼らの活動を除いて語ることはできない。清朝は民間の結社を厳禁したので,52年(順治9)すべての文社は解散した。
幾社
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「復社」の意味・わかりやすい解説

復社
ふくしゃ
Fu-she

中国,明末の文学的結社。「古学復興」を唱えて江蘇省常熟で結成された応社を中心に,崇禎2 (1629) 年読書人の全国的組織として結成されたもの。中心的指導者は江蘇太倉の人,張溥 (ちょうふ) ,張采で,東林党の流れをくみ,当時の空疎な学問的傾向を批判するとともに,現実の政治批判をも積極的に行い,宦官派やそれと結ぶ官僚を攻撃した。しかし明の滅亡後,福王政権で阮大せい (げんだいせい) が実権を握ると弾圧を受け,勢力は衰えた。

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世界大百科事典(旧版)内の復社の言及

【幾社】より

…《易》の〈幾を知る〉という語から,幾社と名づけ,もっぱら学問を講じ文章を競った。当時の復社に対抗したもので,最盛時には100人をこえたが,のち復社に合流する。明が滅びると,清に抵抗して陳子竜と夏允彝も殉難したが,徐孚遠(じよふえん)は遠く台湾にのがれ,海外幾社を作った。…

【顧炎武】より

…清朝考証学の開祖として知られるが,あくまでも明の遺民として生きぬき,異民族王朝の清には終生仕えなかった。帰有光の曾孫帰荘とともに復社に加わっていたが,32歳のとき明が滅び,南京に擁立された小朝廷のため蘇州に従軍する。翌1645年(順治2),清軍は南京に入城し崑山も落城して,養母の王氏は,二姓に仕えるなと遺言して死ぬ。…

【張溥】より

…崇禎4年(1631)の進士。同郷の張采(ちようさい)とともに〈婁東(ろうとう)の二張〉と称され,天下の名士を網羅した文学結社〈復社〉の盟主となり,その中から多くの科挙合格者を出し,庶吉士という低い地位でありながら,当時の政界を左右するほどの勢力があった。強引な政治への介入によって権力者に憎まれ,その不法を告発されたが,まもなく死んだ。…

※「復社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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