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復社 ふくしゃFu-she

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

復社
ふくしゃ
Fu-she

中国,末の文学的結社。「古学復興」を唱えて江蘇省常熟で結成された応社を中心に,崇禎2 (1629) 年読書人の全国的組織として結成されたもの。中心的指導者は江蘇太倉の人,張溥 (ちょうふ) ,張采で,東林党の流れをくみ,当時の空疎な学問的傾向を批判するとともに,現実の政治批判をも積極的に行い,宦官派やそれと結ぶ官僚を攻撃した。しかし明の滅亡後,福王政権で阮大せい (げんだいせい) が実権を握ると弾圧を受け,勢力は衰えた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ふくしゃ【復社 Fù shè】

中国,明末の江南の地主階級の知識人を主とする文学結社。天啓年間(1621‐27),科挙受験のための八股文(はつこぶん)の評選を行う,一種の予備校的文社が各地に起こったが,太倉の張溥(ちようふ)による応社が,その最初である。1633年(崇禎6)江南の各文社は,蘇州の虎丘に集まり,古学の復興をスローガンとして復社と称し,張溥を盟主として合体した。これはしだいに天下の俊秀を網羅する全国的組織に発展し,科挙に大量の合格者を出すにおよんで,政界の一大勢力にのしあがった。

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大辞林 第三版の解説

ふくしゃ【復社】

( 名 ) スル
退職・休職していた人が、もとの会社にもどること。

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世界大百科事典内の復社の言及

【幾社】より

…《易》の〈幾を知る〉という語から,幾社と名づけ,もっぱら学問を講じ文章を競った。当時の復社に対抗したもので,最盛時には100人をこえたが,のち復社に合流する。明が滅びると,清に抵抗して陳子竜と夏允彝も殉難したが,徐孚遠(じよふえん)は遠く台湾にのがれ,海外幾社を作った。…

【顧炎武】より

…清朝考証学の開祖として知られるが,あくまでも明の遺民として生きぬき,異民族王朝の清には終生仕えなかった。帰有光の曾孫帰荘とともに復社に加わっていたが,32歳のとき明が滅び,南京に擁立された小朝廷のため蘇州に従軍する。翌1645年(順治2),清軍は南京に入城し崑山も落城して,養母の王氏は,二姓に仕えるなと遺言して死ぬ。…

【張溥】より

…崇禎4年(1631)の進士。同郷の張采(ちようさい)とともに〈婁東(ろうとう)の二張〉と称され,天下の名士を網羅した文学結社〈復社〉の盟主となり,その中から多くの科挙合格者を出し,庶吉士という低い地位でありながら,当時の政界を左右するほどの勢力があった。強引な政治への介入によって権力者に憎まれ,その不法を告発されたが,まもなく死んだ。…

※「復社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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