斎藤百合(読み)サイトウ ユリ

20世紀日本人名事典 「斎藤百合」の解説

斎藤 百合
サイトウ ユリ

大正・昭和期の盲教育者



生年
明治24(1891)年

没年
昭和22(1947)年

出生地
愛知県豊橋市

本名
野口 小つる

学歴〔年〕
東京女子大学中退,東京盲学校師範科卒

経歴
3歳の時のはしかが原因で失明。その後岐阜訓盲院(現・岐阜盲学校)を経て東京盲学校師範科に進み、大正7年東京女子大学に1期生として盲人女性で初めて入学、関東大震災で中退。一方師範科を卒業後結婚、5人の子供を育てる。傍ら、昭和10年東京豊島区に盲女子のための“陽光会ホーム”を開設。戦争で断念したものの盲女子高等学園の設立に奔走、自費を投じ点字出版に取り組むなど、女子視覚障害者の教育と福祉に力を注ぎ、“盲目女子の母”と慕われた。昭和22年死去。平成6年三女の劇団民芸の女優・斎藤美和らにより映画化が計画され、8年「鏡のない家に光あふれ―斎藤百合の生涯」として完成した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤百合」の解説

斎藤百合 さいとう-ゆり

1891-1947 大正-昭和時代の教育者。
明治24年3月31日生まれ。3歳のときに失明。東京盲学校師範科を卒業し,岐阜訓盲院教員となる。のち夫武弥と雑誌「点字倶楽部(クラブ)」を発行。昭和10年視覚障害をもつ女性のために陽光会ホームを開設した。昭和22年1月17日死去。57歳。愛知県出身。東京女子大中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「斎藤百合」の解説

斎藤 百合 (さいとう ゆり)

生年月日:1891年3月31日
大正時代;昭和時代の教育者
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android