斎藤 知白
サイトウ チハク
明治〜昭和期の俳人
- 生年
- 明治4年7月24日(1871年)
- 没年
- 昭和8(1933)年4月13日
- 出生地
- 福島県会津若松
- 本名
- 斎藤 伊三郎
- 経歴
- 採鉱冶金学を専門とし足尾鉱山に勤務、のち自ら大蔵、五万洞、信夫、茂世路の諸鉱山を経営した。はじめ秋声会に属したが、日本派に転じ子規に師事。大正6年創刊の「新緑」(のち「ましろ」と改題)同人となる。14年伊東牛歩と共に四国88ケ所を巡拝し「俳諧行脚お遍路さん」を著す。牛歩と共編の「新緑後期第一句集」に自由律時代の句が収められ、晩年は定型俳句に復した。虚子の「風流懺法」の坂東君のモデルといわれる。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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斎藤知白 さいとう-ちはく
1871-1933 明治-昭和時代前期の俳人。
明治4年7月24日生まれ。正岡子規にまなび,無季自由律俳句にかたむく。大正14年伊東牛歩と四国八十八ヵ所をめぐり「俳諧(はいかい)行脚お遍路さん」をあらわす。牛歩との共編に「新緑後期第一句集」。足尾鉱山などに勤務し,のち鉱山を経営。昭和8年4月13日死去。63歳。福島県出身。本名は伊三郎。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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