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足尾鉱山 あしおこうざん

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世界大百科事典 第2版の解説

あしおこうざん【足尾鉱山】

渡良瀬川の源流地帯,栃木県上都賀郡足尾町にある江戸時代以来の日本の代表的銅山。鉱業権者は古河鉱業(現,古河機械金属)で,古河グループ発祥の地である。鉱床は,足尾山地を構成する秩父古生層の砂岩,粘板岩およびチャートを貫いて噴出した足尾流紋岩に伴うもので,銅を主とする多鉱種の鉱石を産する。標高1273mの備前楯山(びぜんだてやま)を中心とした1800本もの鉱脈と,その周辺部の,おもに古生層中に胚胎する130余の河鹿(かじか)鉱床と呼ばれる塊状,ポケット状の鉱体からなる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

足尾鉱山
あしおこうざん

栃木県日光市の南西部、足尾町にあった古河鉱業(現、古河機械金属)の主要銅山。1973年(昭和48)閉山。稼業時は別子、日立、小坂、尾去沢(おさりざわ)とともに、日本の代表的な銅山で、亜鉛、硫化鉄鉱なども産した。鉱床は備前楯(びぜんたて)山(1273メートル)を中心として発達し、形態上、流紋岩中の裂罅充填(れっかじゅうてん)鉱脈と河鹿(かじか)鉱床(交代鉱床)、および古生層中の河鹿鉱床の3種があった。銅山は1610年(慶長15)に備前出身農民によって発見され、翌1611年銅吹(どうふき)が開始された。銅山の中心備前楯山(楯とは鉱脈の露頭のこと)の名はこれに由来する。まもなく江戸幕府は銅山を直轄経営し、御用銅として江戸へ送り、芝、上野などの諸廟(びょう)造営の材料として、あるいは江戸城、日光東照宮の銅瓦(がわら)にも使用した。17世紀後半には、長崎経由でオランダへ輸出するまでになったが、幕末には廃坑状態にまで衰えた。1871年(明治4)銅山は民営となり、1877年には古河市兵衛(ふるかわいちべえ)らの手にするところとなり、以後古河鉱業の主要銅山となった。1885年までに本山(ほんざん)坑、小滝坑、通洞(つうどう)坑が次々に開坑され、明治20年代に最盛期を迎え、日本の銅生産量の40%内外を産出するに至った。
 この急激な銅山の開発により、鉱山廃液は渡良瀬(わたらせ)川下流で鉱毒汚染をもたらし、煙害は周辺山地をはげ山にし、下流地域に水害をもたらすなど、深刻な公害を引き起こした。その後、銅山の枯渇化とともに輸入鉱石による製銅へ中心が移り、次々に閉山され、1973年には採鉱部門は完全に終わった。その後は輸入鉱石による精錬が赤倉の足尾製錬所で続けられていたが、1989年足尾線の廃止により、製錬所は全面的に操業を停止した。閉山された坑の一部は、足尾町の観光の中心施設として銅山観光の名のもとに再利用されている。[櫻井明久]

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世界大百科事典内の足尾鉱山の言及

【公害】より

…足尾,別子,日立,小坂の鉱山・製錬所の公害事件や,硫酸工場の煙害に対して農民が訴訟を起こした大阪アルカリ公害裁判が有名である。足尾鉱山の足尾鉱毒事件は,銅製錬後の鉱滓が洪水のたびに大量に流出し,下流の農民の健康や農作物に被害を与えた事件で,のちのイタイイタイ病事件と同じ性格のものである。古河財閥と政府は,被害農民の反対運動を権力によって弾圧した。…

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