斎藤裕(読み)サイトウ ヒロシ

20世紀日本人名事典 「斎藤裕」の解説

斎藤 裕
サイトウ ヒロシ

昭和・平成期の実業家 元・新日本製鉄社長;元・経団連副会長;日本鉄鋼連盟名誉会長。



生年
大正9(1920)年9月18日

没年
平成12(2000)年10月6日

出生地
東京都中央区大伝馬町

学歴〔年〕
東京商科大学(現・一橋大学)〔昭和17年9月〕卒

主な受賞名〔年〕
マルコポーロクラブ賞(第1回)〔昭和54年〕,毎日工業技術賞〔昭和63年 平成2年〕,リオ・プランコ勲章(ブラジル)〔平成2年〕,ベッセマーゴールドメダル(英国材料学会)〔平成5年〕,勲一等瑞宝章〔平成7年〕,オーストラリア名誉コンパニオン勲章〔平成9年〕

経歴
昭和17年日本製鉄入社。28年企業再建整備法による分割八幡製鉄へ。39年八幡製鉄鋼板販売部長、45年富士製鉄と合併したのち、新日鉄薄板販売部長。48年取締役大阪営業所長、50年米国新日鉄社長、52年新日鉄常務、56年専務、58年副社長を経て、62年6月社長に就任。平成5年6月会長、10年取締役相談役。昭和63年〜平成元年、4〜5年の2度国際鉄鋼協会会長を務めた。2〜6年経団連副会長、6〜10年同評議会議長、日本プロジェクト産業協会(JAPIC)会長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤裕」の解説

斎藤裕 さいとう-ひろし

1920-2000 昭和後期-平成時代の経営者。
大正9年9月18日生まれ。昭和17年日本製鉄に入社。同社分割後は八幡製鉄で輸出担当。45年新日本製鉄発足後も営業畑をあるき,48年取締役。62年社長,平成5年会長。エレクトロニクスなど非鉄部門の新事業を開拓。国際鉄鋼協会会長,経団連副会長などをつとめた。平成12年10月6日死去。80歳。東京出身。東京商大(現一橋大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「斎藤裕」の解説

斎藤 裕 (さいとう ひろし)

生年月日:1920年9月18日
昭和時代;平成時代の実業家。新日本製鉄社長;経団連副会長
2000年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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